人気ランキング

J SPORTS IDを登録すれば、
すべての記事が読み放題

J SPORTS IDの登録(無料)はこちら

メルマガ

お好きなジャンルのコラムや
ニュース、番組情報をお届け!

メルマガ一覧へ

コラム&ブログ一覧

サイクル ロードレース コラム 2011年5月23日

【ジロ・デ・イタリア2011】第15ステージ レースレポート

サイクルロードレースレポート by 宮本 あさか
  • Line

山頂にたどり着いた選手たちの顔は、みな一様に、真っ青で無表情だった。いや、魂の抜けた顔とでも表現するのだろうか。すでに2週間の疲労が蓄積した脚と、ドロミティ2連戦でボロボロになった体に、距離・山・風・雨の4重苦が襲い掛かってきたのだから無理もない。今日の勝者ミケルニエベ・イトゥラルデは7時間27分14秒で仕事を切り上げられたが、一番最後に山頂にたどり着いたマシュー・ウィルソンのゴールタイムはなんと8時間12分9秒。なんという長時間労働だろう!今ステージの制限タイムは勝者のゴールタイムの「15パーセント」、つまり約67分だった。229kmの恐ろしきアップダウンを最後まで苦労して走りきった選手は、幸いにも、「史上最難関」の呼び声高い2011年ジロ・デ・イタリアへの居残りを許された。

それにしても、統一150周年を祝うイタリアで、スペイン勢たちの祝祭が続いている。ヴィンチェンツォ・ニバリの本拠地エトナで、アルベルト・コンタドールが王権を奪い取った。オーストリア一時入国では、スペイン語圏ベネズエラのホセ・ルハノが復活を宣言した。イタリアの狂気ゾンコランではバスクのイゴール・アントンが雄叫びを上げ、そしてこの第15ステージ、タッポーネ・ドロミティコ=ドロミテ最難関ステージでも、やはりスペインが凱歌を上げることになる。

しかし先制攻撃を仕掛けたのは、イタリア軍のほうだ。スタートから10km地点でエマヌエーレ・セッラが飛び出しのきっかけを作り、この日最初の峠ではステファノ・ガルゼッリやダニーロ・ディルーカ率いる追走が組織され、かなりの実力派エスケープ集団が出来上がった。2008年山岳賞セッラに2000年総合優勝・2009年山岳賞のガルゼッリ、2007年総合優勝のディルーカ、さらにはカルロス・サストレ(2008年ツール総合優勝)の姿も見られて……。プロトンから軽く10分以上のリードを奪うと、ヒルクライマーなら誰もが憧れる2つの峠を目指して突進していった。

そう、最標高地点チーマ・コッピ(2236mジャウ峠)とパンターニの山(フェダイア峠)という、イタリア自転車界の伝説的ヒルクライマーの名前を冠した2つの山が、この難関ステージを華やかに彩っていた。そして両方いっぺんにもぎ取ったのは、イタリア人のガルゼッリだった。ジャウ峠で単独先頭に立つと、そのまま独走で2つの名誉をさらっていってしまった。もちろん山岳ポイントも大量獲得。ジャージ独占状態だったコンタドールから、正当に、緑色のマリア・ヴェルデを奪い獲った。さらには区間勝利にさえ手が届くかと思われたのだが……。ジャウ峠ではガルゼッリとの直接対決に敗れながらも、以降約60kmにもわたる単独追走をあきらめずに続けてきたニエベ(ミケルニエベ・イトゥラルデではなく、ミケル・ニエベ。ニエベが姓、イトゥラルデは母方の姓なので、以降ニエベと呼ぶ)に、最終峠ガルデッチャへの突入直前、ついに追いつかれてしまった。

ガルデッチャは、その風貌から、スペインの山を思わせた。ブエルタの難峠アングリル(ところどころに激勾配ゾーンが顔を出す)とパンデラ(道幅が恐ろしく狭い)を足して2で割ったような、そんな雰囲気の山で、ニエベがついにライバルを蹴落とした。登坂口直後の16%ゾーンで加速すると、「いつまでも終わらない、まるで永遠に続くような」激坂で、栄光へ向ってひたすらもくもくとペダルを回し続けた。そして「自転車人生で一番ハードなステージ」——39分59秒遅れで無事に完走した別府史之もまったく同じセリフを口にしていたが——で、夢のような勝利をつかみ取った。ちなみに登坂口ではマリア・ローザ集団とのタイム差はいまだ6分半残っていたが、6.15kmの短い上りの終わりには、コンタドールがなんと1分51秒差にまで追い上げてきていたのだが!

メイン集団でも、コンタドールの鉄槌が下される前に、やはりイタリア勢が先手を打った。第14ステージでついに攻撃に転じていたヴィンチェンツォ・ニバリは、この日もステージ序盤からチームメートを集団前方で走らせた。ジャウ峠の上りではスペインコンビ、ホアキン・ロドリゲスとダビ・アローヨが飛び出しを試みたが、下りではニバリが「ダウンヒルスペシャリスト」の切れ味鋭い技を見せ付けた。しかも一時はコンタドール&その他大勢を30秒以上も引き離すことに成功した!ただし、1年前のジロでは下りアタックを成功させたニバリだが、この日はどうやら、上る脚が残っていなかったようだ。続くフェダイア峠の上りでコンタドール集団に追いつかれ、そして置き去りにされてしまう。再び下りで猛追をかけてライバルをとらえるも、また上りが始まるとすぐに難局に追い込まれてしまうのだった。しかもこれが最終峠で、もはや下りは残ってはいなかった。

なによりスペインの王者は全てお見通しだったのだ。ニバリが下りアタックをかけることは「予測通り」で、特に慌てる必要などなかった。絶対的な自信を持つ上りで、追いつけばいいだけのことなのだから。そしてゴール前5km、マリア・ローザがまた1人、高みへと上っていった。

ジロとツールを30回以上も取材し続けているというジャーナリストは、スタート前にこんな風に語っていた。「残念だけど、今日で2011年ジロは終わるよ。あと1週間も残っているというのにね」。過去の取材ノートをひっくり返してみても、2週目でこれだけの圧倒的支配とタイム差を誇る王者が、総合優勝を勝ち取れなかった例はほとんど見あたらないという。そして前日までは「ジロはまだ終わらない」と繰り返しコメントし続けてきたコンタドール本人も、ゴール後の記者会見で、ついに本音を漏らした。「アクシデントがなければ、ボクはミラノでマリア・ローザを着ているはずだ」。大会2度目の休養日を前に、総合2位とのタイム差は4分20秒にまで広がった。

むしろ総合2位以下が、日替わりで激しい場所獲り合戦を繰り広げている。ドロミテ3連戦だけでもニバリ(2→2→3位)、スカルポーニ(3→4→2)、イゴール・アントン(7→3→11)、ジョン・ガドレ(12→5→4)、ロマン・クロイツィゲル(5→9→8)と有力選手の立場はころころと入れ替わった。休養明けの山岳タイムタイムトライアルでは、総合2位以下に再び大きな変動が見られるのかもしれない。


●ミケルニエベ・イトゥラルデ(エウスカルテル・エウスカディ)
区間勝利

ジロの目標は山でいい活躍をすること、そしてできる限りリーダーのアントンをサポートすることだった。昨日はかなり調子がよかったから、朝のミーティングで、エスケープに乗りたいと話したんだ。みんなが賛成してくれた。アントンも応援してくれたから、それで勇気付けられた。今日はジロの最難関ステージだったと思う。標高差も多かった。最難関ステージを勝てたなんて、まるで夢のようだね。でもあくまでもアントンがリーダーだ。山岳タイムトライアルで、ボクの総合順位はあっさり追い抜かれてしまうはずだから。

ジャウ峠ではガルゼッリとの1対1の決闘だった。さらにほぼ100km近くも風や上りに1人で立ち向かったんだよ。だからまるで終わりのないステージだった。特に最後は、もう力を入れても力が入らなかった。ラスト1kmは永遠のように感じた。とにかくリズムを守って走ることだけを考えた。リズムが保ているぞ、と確信して、ようやく「いける」と思ったんだ。でもフィニッシュラインで手を上げる力さえ残っていなかった。ガルゼッリは表彰台裏で祝福してくれた。ほんのわずかな差が勝敗を分けたんだ。

●アルベルト・コンタドール(サクソバンク・サンガード)
マリア・ローザ

最初の峠でいいエスケープができた。ボクらにとっては好都合だったね。それからリクイガスがアタックに備えて前方で牽引を始めた。でもボクのチームは非常に集中して、インテリジェンスな仕事をしてくれた。それからジャウ峠の上りでアローヨとロドリゲスが出て行った。ニバリもアタックを仕掛けようと動いていた。だからボクは常に素早く対応したんだ。ニバリの下りアタックは予想していたから、特に驚かされたりはしなかった。それにモビスターが仕事を始めたけれど、アローヨが前方集団にいたから当然なんだ。ボクは冷静に走って、何の問題もなかった。そしてガルデッチャ峠では、山岳タイムトライアルのつもりで走ったよ。ひどく辛かった。

この先の2つのタイムトライアルはボクにとってはむしろ有利に働くだろう。だからトラブルや病気がなければ、ミラノでマリア・ローザをとることができるはずだ。でも簡単なステージは1つもない。今からミラノまで、休んでいる暇は1日もないんだ。

宮本あさか

宮本 あさか

みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。

  • Line

あわせて読みたい

J SPORTS IDを登録すれば、
すべての記事が読み放題

J SPORTS IDの登録(無料)はこちら

ジャンル一覧

J SPORTSで
サイクル ロードレースを応援しよう!

サイクル ロードレースの放送・配信ページへ