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サイクル ロードレース コラム 2011年7月11日

【ツール・ド・フランス2011】第9ステージ レースレポート

サイクルロードレースレポート by 宮本 あさか
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ルート設計者ジャンフランソワ・ペシューの夢のステージだった。「中央山塊の小さいけれど難解な峠をいくつも乗り越えて、選手たちを1日中アップダウンで苦しめて、そしてサン・フルールの旧市街への上りで美しいフィニッシュ。難関山岳のようなダイナミックさはないけれど、これぞ、自転車レースの本来の姿という気がするんだ」。元自転車選手の彼は、常々、こんな風に語っていたものだ。しかし、本物のステージは、ひどい悪夢に終わってしまった。100km地点パ・ド・ペイロル峠からの下りで集団落車が発生。アスタナのリーダー、アレクサンドル・ヴィノクロフは右大腿骨骨折で、そしてオメガファルマ・ロットの総合表彰台候補ユルゲン・ヴァンデンブロックは肩甲骨骨折・胸郭打撲・肋骨骨折で途中リタイアを余儀なくされてしまった。それ以外にもあちこちで小さな落車が多発し、この日だけで合計8人もの選手がツールを離れた。わずか1週間前に夢と希望に胸を膨らませてスタートした198人は、早くも180人まで減ってしまった。

それにしても2011年大会は、あまりにも落車が総合争いを左右しすぎている。第1ステージではアルベルト・コンタドール(サクソバンク・サンガード)が集団落車のせいで1分半近くもタイムを失った。第5ステージにはヤネス・ブライコヴィッチ(チーム・レディオシャック)が鎖骨骨折でリタイアし、同時に転んだロベルト・ヘーシンク(ラボバンク)は背中と右腕を痛めて得意の上りで苦しんでいる。第7ステージにはブラドレー・ウイギンズ(チームスカイ)も鎖骨骨折で志半ばにフランスを去った。またリーヴァイ・ライプハイマー(チーム・レディオシャック)は3度目の落車で総合争いを放棄し、チームメートのクリストファー・ホーナーは頭部を強打して翌日帰宅した。そして第8ステージにはロマン・クロイツィゲル(アスタナ)が手首を痛め、区間勝者から20分遅れでなんとかゴール地へとたどり着いた。イヴァン・バッソ(リクイガス・キャノンデール)やアンドレアス・クレーデン(チーム・レディオシャック)もそれぞれに痛い思いを味わった。……総合候補で無傷なのは、もはやカデル・エヴァンス(BMC レーシングチーム)とアンディ&フランク・シュレク(レオパード・トレック)くらいのものだ!

そして後方プロトンは、スピードを一旦緩めることに決めた。1年前の第2ステージ、ベルギー・アルデンヌ地方の濡れた路面で大量の選手が落車したときは、逃げていた1人の選手を除いてプロトンは完全に勝負を放棄したが、この日は15kmほど走ったところで再びレースのリズムを取り戻した。

エスケープ選手にとっては、いわゆるニュートラリゼーションは幸運以外のなにものでもなかった。それ以前(3分30秒差)とそれ以後(7分30秒差)では、状況が大きく変わったからだ。激しいアタック合戦を制して41km地点からロングエスケープを始めたトマ・ヴォクレール(チーム ユーロップカー)、フアンアントニオ・フレチャ(チームスカイ)、ジョニー・フーガーランド(ヴァカンソレイユDCM)、ルイスレオン・サンチェス(ラボバンク)、サンディ・カザール(FDJ)(クイックステップのニキ・テルプストラも逃げたが、落車の時点ではすでに先頭から滑り落ちていた)の5人は、俄然、区間勝利の可能性に向けてペダルを漕ぎ始めた。

いや、ヴォクレールの心の中だけには、区間勝利ではなく、別の野望が燃え上がっていた。前日終了時の段階では総合首位トル・フースホフト(ガーミン・サーヴェロ)から1分29秒遅れで、すなわちエスケープ集団内では総合トップに立つヴォクレールは、プロトンの減速を「これは運命の後押しかもしれない」と考えた。そしてラスト60km地点から、2004年に10日間マイヨ・ジョーヌを守りきったかつての「ティ・ブラン(リトルホワイト、少年時代を過ごしたマルチニーク島でのあだな)」は、十分なタイム差を開くために前方で必死の牽引を行った。

しかし落車を引き起こす悪魔が、前を行く5人にも襲い掛かる。ラスト35km地点、タイム差はいまだ5分ほどあり、逃げ切りもいよいよ現実味を帯びてきた頃だった。……エスケープ集団を左側から強引に追い越そうと試みたメディアカーが、フレチャに接触。フレチャは地面に叩き落され、さらにフーガーランドは鉄条網に引っかかりながら牧草地へと放り出されてしまったのだ!大会本部はステージ後に次のようなリリースを発表した。「問題の車には、あの時間、選手を追い越さぬよう指示が出ていた。ヴォクレールがボトルを要求しており、それを優先するためだった。しかしこの指示を無視して、車は追い越しをはじめ、2選手の落車を誘発した。許しがたい行為である。レース委員会は問題の車と運転手をレース追放処分にすることを決定した」。激しい衝撃と体中にできた打ち身や切り傷にも関わらず、しかし、フレチャとフーガーランドは勇敢にも再び走り始めた。フィニッシュラインでは2人とも16分半以上のタイムを失ったが、文字通り「敢闘賞もの」の走りを見せた2人には、敢闘賞の証「赤ゼッケン」が手渡された。しかも落車前まで必死に山岳ポイントを争いに行ったフーガーランドには、嬉し涙の赤玉ジャージもついてきた。

間一髪で落車から逃れたヴォクレールとカザール、LLサンチェスは、なんとか4分近い差を保ってサン・フルールの美しき旧市街へとたどり着いた。今年からラボバンクのオレンジ色のジャージを着て走っているLLサンチェスが、満身創痍で意気消沈気味のヘーシンクを元気付けるような、見事なアップヒル勝利を手に入れた。そして7年前の第5ステージでは後続に12分33秒差をつけてゴールし(区間4位)、あのランス・アームストロングからマイヨ・ジョーヌを奪い取った(のではなく、アームストロングが大会序盤のプロトンコントロールを嫌って手放したのだが)トマ・ヴォクレールが、お望みどおりに黄色に染まった。若かったあの頃はただがむしゃらに連日マイヨ・ジョーヌを守り、一気に有名になりすぎたことに戸惑い、苛立ちを見せたものだが、32歳でキャリアの円熟期に達した現在は「マイヨ・ジョーヌの本当の価値を知り、心から堪能できる」と嬉しそうに語る。

はるか後ろのメイン集団内では、フィリップ・ジルベールが、中間スプリントとゴールスプリントのために力を尽くした。つまり総合リーダーを失ったオメガファルマ・ロットは、「マイヨ・ヴェール獲り」という新たな目標へと突っ走ることになりそうだ。また丸々1週間ジャージキープに健闘し、2度の激坂フィニッシュでは登り脚を披露したフースホフトは、もはや限界まで粘る必要はなかった。最終峠をゆっくりと登り、総合では一気に24位へと陥落した。レースに残る総合争いの選手たちは3分59秒(もしくは4分07秒)遅れでフィニッシュラインを越えた。厳しすぎた大会最初の9日間はようやく終わりを告げ、首を長くして待ち望んでいた大会1回目の休養日がやってくる。


●ルイスレオン・サンチェス(ラボバンク)
区間優勝

フレチャとフーガーランドの身に降りかかったことは本当に残念だった。またボクらにとっても手痛い落車だった。あの時は、みんなで逃げ切りのために力を尽くしている真っ最中だったからね。確かに今大会はこれまで、全てのステージで、非常に細い道を通過している。しかも招待客を乗せたレース車がたくさんボクらの周りを走っている。みんな近くでレースを見たいから当然のことだよね。でもあの車はすごいスピードでボクらを追い抜いていったんだ。いつかこんなことが起こるのではないかと恐れていたよ。この機会に、メッセージを伝えなければならない。開催委員会はしっかり運転手たちと話し合いを持ち、今まで以上に注意を払うよう、より選手を尊重するように徹底していかなければならない。世界で一番美しいレースにこんな事故が起こるなんて、本当に残念だ。

昨日のヘーシンクは苦しい1日を過ごした。でも落車のあとなんだから、体中が痛くて当然だ。だからボクらはみんなで彼を勇気付けた。3週間のレースでは、様々な難事がふりかかる。でも大切なことは、落車したにも関わらず、まだ走り続けていること。だからチームにとっても今日の勝利は大切だったんだ。君を支えるチームメートは元気だぞ、と彼に見せてあげられたからね。ヘーシンクで総合を争うというチームの目標はまったく変わっていない。もちろん区間勝利のチャンスがあれば、ボクは取りに行くし、これぞ今日のボクが成し遂げたことなんだ。ヘーシンクが今すべきことは、休日を利用してゆっくり体力を回復すること。残り2週間のレースに100パーセントで臨むためにね。

●トマ・ヴォクレール(チーム ユーロップカー)
マイヨ・ジョーヌ

今日の指示はエスケープに乗ることだった。ただマイヨ・ジョーヌ交替劇などは誰も考えていなかった。チームからは誰かが前方に行くようにと指示していたから、ボクは様子を伺いながら機会がやってくるのを待った。チーム内の数選手が交代でアタックを仕掛けて、そして最初の峠ではボクが真っ先に飛び出した。その後ほかの選手が合流してきた。つまりはボクがエスケープのきっかけを作ったんだよ。すぐに集団内で自分が総合トップだと理解した。でもその時点では、マイヨ・ジョーヌの野望なんかまるでなかった。ただ7分差をつけて、後ろで落車があったと聞いて、そこで初めて「もしかしたら運命が後押ししてくれているのかも」と考えた。だからずいぶん早い時点で、総合のことを考え始めた。ゴール前60kmでチーム監督と話し合って、区間勝利は狙わずにマイヨ・ジョーヌのためだけに走ることに決めたんだ。どれだけのタイム差がつけられるかはまるで保証はなかった。だからその後の60kmは、まるで単独エスケープのような状態で走った。

ここまで何度もアタックを仕掛けてきたけれど、かと言って、手当たり次第にアタックしてきたわけでもないんだ。ステージ最終盤での飛び出しを何度か試みた。もちろん、上手く行く可能性があると思ったからだよ。でも上手くいかなかったからといって、特にがっかりしていたわけでもなかったんだ。とにかくトライしたんだから。トライしても、上手く行く日もあれば上手くいかない日もある。でも上手くいかなかったから、昨日はまったくトライしないことに決めた。それでも先頭集団からあまり遅れないように粘った。別にマイヨ・ジョーヌを取りたいと考えていたわけじゃなくて、単に全力を尽くしただけ。でも今振り返って考えてみると、昨日のボクにもしも最終峠で踏ん張る勇気がなかったら、総合でサンチェスに抜かれていたかもしれない。そうしたら全てが変わっていたはずだからね。

7年前はマイヨ・ジョーヌの日々を楽しめなかったわけではないけれど、いわゆる、まるで天から降ってきたようなマイヨ・ジョーヌだったんだ。ボクは今よりもずっと若くて、集団はボクにジャージを取らせたんだ。たしかにエスケープの中で総合トップだったおかげではあるんだけれど、プロトン内には逃げの誰かにジャージを取らせようという意志が働いていたんだ。でも今日は違う。ボクはこのジャージの価値を知っているし、毎年ツールに出場し続けていることで、マイヨ・ジョーヌがどれだけ大切なものなのかより一層理解したんだ。だから今日は、ボク自からがジャージを奪いに行ったんだ。

宮本あさか

宮本 あさか

みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。

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