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サイクル ロードレース コラム 2011年7月17日

【ツール・ド・フランス2011】第14ステージ レースレポート

サイクルロードレースレポート by 宮本 あさか
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ディフェンディングチャンピオンにとって運命の日となるに違いない——。ピレネー3連戦の最終日、ツール一行内ではこんな風に誰もが囁いていた。「今日でウィかノンかはっきりする」と。つまりアルベルト・コンタドール(サクソバンク・サンガード)がプラトード・ベイユでチャンピオンの走りを見せることができれば、彼の総合争いはアルプスまで続く。もしもダメなら……彼にとっての2011年ツールの戦いは終わるだろうと。もちろんコンタドール本人とサクソバンクは大きな「ウィ」を願っていた。

レオパード・トレックは、力づくで「ノン」に持ち込みたかった。まずはスタート直後に出来上がった20人の逃げ集団に、ルクセンブルクチームはイェンス・フォイクトとリーナス・ゲルデマン(共にレオパード・トレック)を送り込んだ。はるか後方では補給地点を過ぎた頃から、残る7人が全員プロトン前方へと進み出て、山岳トレインを組み始めた。前からも後ろからもレースの主導権をがっちりと握り、コンタドールだけでなく、全ての総合ライバルたちを揺さぶりにかかる。

6つの峠が待ち受けるこの日、大人数の逃げ集団内では数え切れないほどの攻撃と再合流が繰り出された。エスケープ内では総合トップ(第13ステージ終了時点で首位から8分47秒遅れ)のサンディ・カザール(FDJ)、デーヴィッド・ミラー(ガーミン・サーヴェロ)、ジュリアン・エルファレス(コフィディス ルクレディアンリーニュ)の3人がミニ先頭集団を形成したかと思えば、ゴルカ・イサギレ・インサウスティ(エウスカルテル・エウスカディ)が単独で飛び出したことも。プラトー・ド・ベイユへの登坂が始まると、今ステージ中には「暫定」マイヨ・ジョーヌにも立ったカザールが、単独で先を急ぎ始めた。ただし、最終峠めがけてメイン集団は急激にタイム差を縮めてきた。またしてもフランス人選手優勝の夢は潰え、またしてもFDJの努力は実らなかった。

前集団から落ちてきたフォイクト——2回も落車したにも関わらず——とゲルデマンの手助けも得て、レオパード・トレックはプロトンをふるいにかけていく。そして集団が10人ほどまでに絞り込まれたゴール10km手前で、ついにレオパードのリーダー(の1人)がアタックを仕掛けた。アンディ・シュレクだ。

これをきっかけに、ピレネー最後の山では、無数のアタックが乱れ飛ぶ。アンディが何度も加速を見せ、ライバルのイヴァン・バッソ(リクイガス・キャノンデール)は淡々と、しかし冷酷にテンポを上げる。総合争いの面々の中では現時点で最もマイヨ・ジョーヌに近い兄のフランク・シュレク(レオパード・トレック)さえも飛び出した。しかし「いずれのアタックも非常に短くて、いつもすぐに、集団はひとつにまとまった」とマイヨ・ジョーヌのトマ・ヴォクレール(チーム ユーロップカー)が解説するように、毎回、誰かがほんの数メートル飛び出しては、その誰かを逃がしたくない他の誰かがすぐに距離を縮めにかかった。誰かが追走すれば、他の全員がその仕事を利用して集団は再びひとつにまとまる。一旦集団がひとつになると、「次は誰の番だ?」と互い監視をし合い、そこから誰かがまた飛び出して……。こうしてアタック→追走→再集団化→にらみ合い→アタックというパターンが延々と続いた。「スピードの緩む時間帯が繰り返し訪れた。ボクにとっては理想的なシナリオだったけどね」とヴォクレール。

マイヨ・ジョーヌを10日間守った2004年大会でも、同じゴール地、プラトー・ド・ベイユがヴォクレールの前に立ちはだかった。あの日はランス・アームストロングとイヴァン・バッソが高速でステージを争い、前日まで5分24秒あった総合タイム差をアームストロングにわずか22秒にまで詰められた。山頂のフィニッシュラインで見せたガッツポーズと、「ボクには諦める権利なんかなかったんだ」との名セリフとが、ファンたちの記憶の中に深く刻み込まれている。しかし7年後のヴォクレールは、まるで「本物の」マイヨ・ジョーヌのようだった。周囲を慎重に警戒し、幾度となく自らアタックを潰しに向かった。さらには残り3.5km地点でサムエル・サンチェス(エウスカルテル・エウスカディ)が動いたとき、アンディが「追えよ!」と叫んだそうだが、あえて自らは動かずに他人を動かしたことさえあった。2日前と同じく、最後までリーダーに寄り添ったピエール・ローランはこんな風に告白する。「実はラスト3kmで、トマに言ったんだ。『この集団では君が一番強い。アタックすべきだよ』と。そうしたら彼はボクに耳打ちをしてきたんだ。『もう脚が痛くてたまらないのさ』と。でも他の選手だって、脚が痛かったはずなんだ」

カデル・エヴァンス(BMC レーシングチーム)とコンタドールにとっても、おそらく理想的なシナリオだったのではないだろうか。他の総合本命に比べると難関山岳でのクライム能力が少し劣るとの評価を受けるエヴァンスや、膝にあいかわらず不安材料を抱えるコンタドールは、自らの脚でアタックこそ繰り出せなかったものの——コンタドールは「今日のような自分の走りは嫌い」と語っている——、ライバルたちの動きをニュートラルに引き戻す走りは難なく出来た。サンチェスは結局先に行かせてしまったし(区間2位)、ラスト500mでアンディ・シュレクが飛び出したときは誰一人として2秒の穴を埋めることは出来なかったけれど……。そのアンディはかなりの不満顔で「こんなゆるい勾配じゃタイム差をつけられない。あんなタイム差つけたところで、何の足しにもならないよ」とはき捨てた。

しかし本命たちのお見合い合戦を最大限に活用した選手と言えば、やはり、ジェリ・ヴァネンデール(オメガファルマ・ロット)に違いない。ラスト6.8km地点でメイン集団から単独アタックをかけた彼のことを、誰も追いかけようとはしなかった。「総合で13分も遅れてたからね。誰もボクのことなんて危険視するわけないと分かっていた。そこを利用したんだよ」と分析するヴァネンデールは、そのまま山頂まで軽々と駆け上がって独走優勝を決めた。2008年のFDJ時代からフィリップ・ジルベール(オメガファルマ・ロット)のアシスト役を務め、この春はジルベールのアルデンヌ3連戦を大いに助けた26歳にとっては、ツール初参戦での初優勝。同チームのベルギー選手で、今大会は無念のリタイアに終わったユルゲン・ヴァンデンブロックと並び、1976年優勝のリュシアン・ヴァンインプ以来となるベルギー人総合王者となれるのではないか……と早くも期待を集めているようだ。

それを言うなら、1985年ベルナール・イノー以来となるフランス人総合王者を、地元フランスは待ち望んでいる。見事な手腕でマイヨ・ジョーヌをピレネーの出口まで守ったヴォクレールと並んで、24歳の期待の星ピエール・ローランと34歳の初出場選手ジャンクリストフ・ペロー(アージェードゥゼール・ラ・モンディアル)も、メイン集団で1日を終えた。今大会いまだ区間勝利を捜し求めるフランス勢だが、総合争いに関しては近年かつてないほど頼もしい動きを見せているのは間違いない。

ところで、冒頭の疑問に対する答えは出たのだろうか。コンタドール本人は「ボクのツールはまだまだ終わっていない」と、ゴール後に繰り返し断言している。

●ジェリ・ヴァネンデール(オメガファルマ・ロット)
区間勝利

クラシックレースを転戦した後は、ツール用に特別なプログラムを組んで調整をしてきた。こんなプログラムを組んでくれたチームには感謝しているんだ。クラシック後はすこし休んで、その後はドーフィネしか走っていない。だから非常にフレッシュな状態で、100パーセントの調整でツールに臨むことができたんだ。

ボクがアタックしたときは、総合本命たち、特にアンディ・シュレクがすでに何度もアタックを繰り返したあとだった。全速力で走っている時間帯ではなくて、みんなが顔を見合わせていた。それにあの場にいたのは全員、総合争いのことを考えていた選手ばかりだったけれど、ボクだけが違ったんだ。だからその点では有利だったんだよ。ボクは特別にスゴイアタックを決めたわけじゃないんだ。単に幸運に恵まれただけ。もしもボクが総合上位だったら、他の選手はすぐに反応したに違いない。まだアルプスが残っているから、総合本命たちは自分の切り札を全てテーブルの上に並べて、手の内を他の選手に見られてしまうのを恐れていたんじゃないかな。

トマ・ヴォクレール(チーム ユーロップカー)
マイヨ・ジョーヌ

とんでもなく苦しみながらも、何とかしがみ付くことができた。きっと他の選手たちも苦しんでいたに違いないよ。あの集団内で、誰が最強なのかどうかなんてまるで興味がなかった。ボクはただマイヨを守ることしか頭になかった。考えていたのはタイム差だけ。総合本命たちと一緒にゴールしたいと願っていたわけじゃない。

(レオパード・トレックの集団制御は)まるで心配していなかった。だって2人の総合本命を抱えているチームなんだから、コントロールに務めるのは当然なことだよ。ボクを喜ばせるために走っているわけじゃないからね。24人のエスケープ集団ができた後は、タイム差を与えすぎないように、そのことだけを考えてボクらチームは動いた。その後レオパードが動き始めたけれど、特に驚きもしなかった。そして最後の上りでは難しいことを考えずに上ったんだ。

ボクにとっては確かにありがたいシナリオだったね。風もあったし、本命たちはアタックを仕掛けても、すぐに再集団化していたから。ボクに応えられないアタックもあった。でもアタック自体が毎回長くは続かなかったから、ボクは毎回しがみ付くことができたんだ。

宮本あさか

宮本 あさか

みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。

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