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サイクル ロードレース コラム 2013年4月22日

ツール・ド・フランスを知るための100の入り口:新聞の売り上げ

ツール・ド・フランス by Naco
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ツール・ド・フランスを知るための100の入り口:新聞の売り上げ

1936年のロト紙

ツールは、新聞紙『ロト』により創造・開催された。しかし、新聞社と自転車レースのタイアップ、というビジネスモデルは、『ロト』のオリジナル・アイディアではなかった。

1891年に始まったパリ〜ブレスト〜パリの実行委員は、日刊紙『ル・プティ・ジョルナル』だったし、やはり1891年スタートのボルドー〜パリレースも、上記日刊紙と同系列のスポーツ紙『ル・ヴェロ』が主催した。つまり、ツールは完全に後発だったのだ。

『ロト』の前身となるスポーツ紙『ロト・ヴェロ』(『ロト』への改名は1903年)の創立は1900年。さっそく追いつけ追い越せで、ロードレースを躍起になって取り込もうとするのだが、実は当初、彼らはライバル社の真似事ばかりしていた。

1902年には、『ロト・ヴェロ』が、『ル・ヴェロ』のレース、ボルドー〜パリの完全コピー版を開催したものだから、前者主催のボルドー〜パリ第1回大会と、後者主催の第12回大会の2つが同一年に催されるという顛末だった。両者はまったく同じ行程・規則のもと行われ、出場者のみが唯一異なっていた。

強すぎる敵愾心(てきがいしん)が混乱を招いた悪しき例と言えるだろう。さすがにパクリばかりではバツが悪かったとみえ、『ロト・ヴェロ』は、同年オリジナルレースとして、800キロのマルセイユ〜パリを主催した。

成功裏に幕を閉じたものの、発行部数はそれでもやっと2〜3万部。ライバル紙の8万部というのは、途方もない数字だった。

そんな中、『ロト・ヴェロ』から『ロト』へと改名された1903年、捨て身の一発として打ち上げられたのが、ツールというワケだ。すると、たちまちのうちに、予想以上の効果を目の当たりにする。

大会開始とともに、新聞の売り上げは一挙に2〜3万部から6万部超へ。開始10年後には圧巻の32万部を達成。第一次世界大戦で部数は激減するものの、1930年代には再び30万部の大台に乗せた。

当時テレビはまだなく、人々は新聞を買わなければ、首位の選手の名前すらわからなかった。レースがヒットさえすれば、安直に部数急伸が狙える時代だったのだ。

代替画像

Naco

1999年末、ホームページを立ち上げ、趣味だった自転車ロードレースの情報記事を掲載しはじめる。2000年夏からは、ツール・ド・フランスの現地観戦レポートを開始。同サイトには、ロードレース・ファンたちが数多く訪れている。現在、フリーランスのジャーナリストとして自転車専門誌に記事を寄稿している。

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