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サイクル ロードレース コラム 2013年4月26日

ツール・ド・フランスを知るための100の入り口:暴力沙汰

ツール・ド・フランス by Naco
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ツール・ド・フランスを知るための100の入り口:暴力沙汰

2000年ジロ・デ・イタリア第8ステージで勝利したアクセル・メルクス(左)を祝福する父エディ(右)。通算525勝のエディは史上最強のロードレーサーとの呼び声も。

2010年ツール・ド・フランスで、レース中のいざこざが発展して、選手のカルロス・バレドとルイ・コスタが、ゴール直後に派手な乱闘を繰り広げたことがあった。フロントホイールをはずしてバレドが襲いかかると、それをコスタが奪い取り、両者はもみ合いに。ジャーナリストたちが2人を無理やり引き離す始末。

もっとも、興奮状態になるのは選手だけではない。観客もしかり。しかも、“武器と化したホイール”ではなく、“本物の武器”が鎮圧用に使われたことすらある。

それは1904年、ツール第2回大会第2ステージでの出来事。サンテティエンヌ通過後、レピュブリク峠を上る最中、集まった群衆の前で地元のアルフレド・フォール選手が集団からエスケープを敢行。彼の逃げを支援する見物客たちが、ほかの選手の行く手をさえぎる挙句、暴力までふるう事件が起こった。

沈静化を図る主催者側がとった手段は、今では想像もつかないやり方だった。なんと、威嚇発砲!

さすがに今では、開始の号砲以外でピストルを使うことはなくなったが、こうした沿道側からの横やりは、“なんでもありの初期の大会”だけにとどまらない。1975年には、見物人でぎっしり埋め尽くされた山道で、ベルギー人のエディ・メルクスがフランス人の観客に脇腹を殴られる事件が起こる。

パンチを食らった腹を抑えつつ、なんとかその日は走り切ったが、後日、タチの悪い落車にも見舞われ、首位の座から陥落。総合2位でツールを終えた。1969年から前年1974年にかけ、5度の優勝を果たしていたが、あと一歩のところで6度目の栄光をつかむことはできず。

ただこの年、エディにとって悪いことばかりではなかった。大会スタート前に、フランスの勲章制度で外国人にも与えられるレジオンドヌール勲章シュヴァリエ(騎士・5等)を授与された。(2011年には、それより上のレジオンドヌール勲章コマンドゥール=司令官・3等を得る)

ときは経ち、彼の息子アクセルも、自転車選手になった。モトローラを皮切りに一流チームに所属したが、成績では、父に、はるか及ばず。ツールでは、区間2位と3位が各1回と2回。総合順位では、1998年の10位が最高位。2004年、アテネオリンピック・ロード種目の銅メダルが、キャリア最大の栄光だ。

そんな彼も、一度沿道のファンとの接触事件に遭遇する。といっても、被害者は、彼自身ではなかった。2005年大会の最中、カザフスタン人のアンドレイ・カシェチキンが、いきなり鼻を殴られた。故意ではなかった可能性もあるが、長い間鼻血が止まらず、悲壮感が漂った。

そんなみじめな姿が心配で、チームは異なるものの声をかけ、励ましたのがアクセルだった。

父の事件が起こった当時、彼はまもなく3歳になろうとしていた。記憶にはないに違いないが、身内の災難として、しばしばこのエピソードを聞かされてきたのだろう。カシェチキンのことが、他人事とは思えなかったそうだ。

代替画像

Naco

1999年末、ホームページを立ち上げ、趣味だった自転車ロードレースの情報記事を掲載しはじめる。2000年夏からは、ツール・ド・フランスの現地観戦レポートを開始。同サイトには、ロードレース・ファンたちが数多く訪れている。現在、フリーランスのジャーナリストとして自転車専門誌に記事を寄稿している。

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