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ツール100回記念大会も、ぼんやりと終わりが見えてきた。いまだに22チーム中14チームが勝利をつかめずにいたし、開催国フランスを筆頭に、スペインやオランダ、アメリカ等々の自転車大国もフラストレーションに身もだえしていた。そして2度目の休養日の翌日は、今大会最後の「エスケープ向け」ステージと言われていた。つまり……、逃げ出すしかない!
大量の選手が、スタート直後から押し合いへし合い前方へ飛び出した。雨……という天気予報を裏切るような、いつも以上に強烈な日差しが照りつける中で、数十人の選手が幾度となくチャンスを求めた。大きな塊が前に出来上がっては、乗り遅れた数チームが吸収を仕掛ける。幸運な26人が、ついに逃げ切りへの大当たり切符をむしりとったのは、ようやく40kmほど走ってからのこと。
スカイ プロサイクリング、キャノンデール プロサイクリング、アスタナ プロチーム、ベルキン プロサイクリングチーム以外の18チームが、何よりもフランス選手8人が滑り込んだ。大きなエスケープ集団は、その後は着実にメイン集団からリードを奪い続けた。しかもプロトンが踏み切りで少々足踏みをさせられたおかげで、最終峠2級マンス峠の上りが視野に入り始めた頃、タイム差は12分にまで開いていた。
「もしも50人のスプリントになったら、私はツールから一切の手を引く」と、レース設計責任者ジャンフランソワ・ペシューは、2002年の秋に宣言したという。かつては少々退屈気味だったギャップゴールに、新しくマンス峠を付けたことで、必ずや素晴らしいフィニッシュが見られると確信していたのだ。そして思惑通り、この急な上りと下りが、戦いをドラマチックに変えた。たとえば2003年、焼け付くような太陽の下、溶けたアスファルトに車輪を取られ総合2位のホセバ・ベロキが地面に落ち、マイヨ・ジョーヌはギリギリで危険を回避した。たとえば2011年、総合ですでに大きく後れを取っていたアルベルト・コンタドールが、危険を顧みぬアタックを繰り出した。
2013年もやはり、今ツール限りで第一線から身を引くペシューの眼の前で、前方でも後方でも印象的な激戦が展開された。少し前からお見合い状態に突入していた逃げ集団からは、2人の南西フランス人、ジャンマルク・マリノとビエル・カドリが真っ先に上りへ飛び込んだ。アルプスで生まれ育ったジェローム・コッペルも、激しいダンシングスタイルで前へと襲い掛かった。前日チームスポンサーの契約更新が発表され、ゼネラルマネージャーと共にほっと胸をなでおろしたフランスの「シューシュー(お気に入り)」トマ・ヴォクレールも、「まるで調子が良くなかったから、周りの選手を走らせておいて、力を温存したんだ……」、とたった1度に渾身の力を込めた。ただしフランス勢の猛攻を、一太刀で切り裂いたのは、ポルトガル人ルイアルベルト・ファリアダコスタだった!
「勝つためには、どこで攻撃すべきか分かっていたんだ。上りの早い段階でアタックをかけて、山頂までにできるだけタイムを稼ぐこと。そのリードを元手に、ゴールまで落ち着いて下ること」(ファリアダコスタ)
山頂までに稼いだリードは47秒。後方ではコッペル、クリストフ・リブロン、アルノー・ジャネソンのフランストリオ+アンドレアス・クレーデンが、必死に追走を仕掛けた。しかしツール前哨戦ツール・ド・スイスの総合を制した強豪は、危険な下りを経て、最終的にはわずか5秒しか失わなかった(42秒差ゴール)。「ゴール前1km地点から、『勝てる!』と思って興奮が止まらなかった」というファリアダコスタは、フィニッシュラインに喜び勇んで飛び込んだ。
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