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サイクル ロードレース コラム 2014年7月10日

ツール・ド・フランス2014 第5ステージ レースレポート

サイクルロードレースレポート by 宮本 あさか
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本家パリ〜ルーベは、2002年以来、泥んこレースから遠ざかっている。ところが2014年7月、石畳クラシックにとって、ある意味では最高に理想的な条件が揃った。朝からの大雨に、気温は4月並みの15度程度。風は強く、石畳路の上にはいくつも大きな水溜り。まさしく、北の地獄が、ツール・ド・フランスのプロトンを笑顔で手招きしていた。

開催委員会はスタート前に決断を下した。全部で9つある石畳セクターのうち、2つ(第7モン・アン・ペヴェールと第5オルシー〜ブヴリー・ラ・フォレ)の通過を中止。自ずと石畳の総距離は15.4km→13kmに、ステージ全体の距離も155.5km→152.5kmに短縮された。かといって大部分の選手たちは、ちっともホッとできなかったに違いない。たとえばクリス・フルームやアルベルト・コンタドールといった総合優勝候補は、みなそれぞれパヴェの下見をしっかり済ませていたけれど、あくまでも「晴れた日」に「乾いた石畳」の上を走っただけ。しかも石畳に入るまでの約85kmのアスファルト路さえも、結局のところ、ひどい虐殺の地となってしまったのだから。

ピリピリとした雰囲気がプロトン全体を包んでいた。スタート直後に9選手が飛び出し、先に行ってしまった後も、マイヨ・ジョーヌ擁するアスタナがメイン集団前方で厳しくテンポを刻み続けた。スピードが一向に落ちぬまま、30kmほど走った頃だった。フルームが濡れた地面に滑り落ちた。前ステージに左半身から激しく落車したディフェンディングチャンピオンは、今度は右半身を打ちつけた。チームメートの尽力で、一旦はメイン集団に復帰した。しかし、いよいよ最初の石畳ゾーンが3kmほど先に迫ったその時、またしてもフルームは滑り落ちた。24時間で3度目の――、そして最後の落車だった。2013年ツール総合覇者クリス・フルームは、大会5日目で戦いの場を去った。

「今年のツール・ド・フランスから撤退しなきゃならないなんて、ひどく悲しいよ。手首のケガと、厳しい天候のせいで、自転車を制御することがほぼ不可能になってしまったんだ」(フルーム、ツイッターより)

石畳に入る前に、アレハンドロ・バルベルデやティージェイ・ヴァンガーデレンもまた、アスファルトに転がり落ちた。あちこちで大量の落車とメカトラブル相次ぎ、逃げ集団もいつしか7人に減り、そしてガタガタ道がやって来た。

パリ〜ルーベでは「難度5点満点」を付けられ、伝統的に最後の勝負地であるカルフール・ド・ラルブル(第9セクター)が、この日は最初の試練だった。意外にクセモノだったのが、続く石畳路アンヌヴラン〜ポン・ティボー(第8セクター)。難度は3点。ところが道幅が極めて狭い上に、トラクターの作った轍には泥水がたっぷり溜まっていた。自転車で走行可能なのは中央部分の細い一筋だけ。綱渡りのような走りが要求される中で、この春のルーベ覇者ニキ・テルプストラさえ水溜りにはまり込んだ。メイン集団は細かく切れ切れになった。マイヨ・ジョーヌ姿のヴィンチェンツォ・ニーバリが前から4番目ほどの位置で上手く抜け出した。

「下見に来たときは、道は乾いていた。ただペテル・ヴァンペテヘム(2003年パリ〜ルーベ勝者)が、とにかく真っ直ぐ進むこと、石畳路の真ん中部分を走ること、この2点を助言してくれた。だからその通りに走ろうと、ひたすら努力した。それに、ボクは、マウンテンバイクをやっていたんだよ。その経験は今までもダウンヒルで生かされてきたけれど、石畳上のライン取りにも多いに役立ったね」(ニーバリ、ゴール後TVインタビューより)

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