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サイクル ロードレース コラム 2015年5月27日

ジロ・デ・イタリア2015 第16ステージ レースレポート

サイクルロードレースレポート by 宮本 あさか
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メカトラや落車のリーダージャージに、アタックを打つべきか、打たぬべきか。「プロトンの紳士協定」がしばし自転車界では引き合いに出される。

「たいていのシナリオは、今日のような感じで進んでいくものさ。そんなこと分かっていたよ。今日のライバルたちの態度が正しかったのか、そうではないのかは、ここでは議論したくない。ただ僕は諦めなかったし、冷静さを保ち続けた。ただ前だけに集中し続けた」(コンタドール、公式記者会見より)

アルを含む6人のアスタナ隊列は、猛烈に突っ走り続けた。モルティローロに突入する前に、ヘシェダルを非情にも追い抜き、さらに進軍を続けた。ティンコフボーイズは必死に追いかけたが、タイム差が思うように縮まらないどころか、アシストは1人、また1人と消えていく。

そして、ついに、モルティローロの坂道が始まった。アスタナはパオロ・ティラロンゴ、ミケル・ランダ、ファビオ・アルの3人を残していた。50秒後に山に入ったコンタドールは、最終アシストのロマン・クロイツィゲルを捨てて、単独で先を目指し始めた。ゴールまではいまだ45km。そして、ピンク色のジャージが、ここから、恐るべき反撃にでる。

「パンターニの山」で、本家パンターニを思い出したティフォジも多かったに違いない。1999年第15ステージの、オロパへと向かう道の上だった。マリア・ローザ姿のマルコ・パンターニが、パンクの犠牲となった。つい2日前まで総合首位につけていたローラン・ジャラベールが、「不文律」を無視して、アタックを仕掛けた。これが海賊の怒りに火をつけた。怒涛のごぼう抜きを成功させ、山頂へと単独で飛び込んだ――。

「何より厳しかったのは、まだ45kmも残っていたこと。つまりは、その間、僕にはどんな問題さえも許されない。メカトラブルも、急な失調も。モルティローロでは自分のリズムで上った。タイムトライアルになるだろうと悟っていた。とにかく冷静さを失わぬよう、それだけを自分に言い聞かせ続けた」(コンタドール、公式記者会見より)

その「マイペース」で上ったというコンタドールは、この日のモルティローロ11.85kmで、45分07秒という今年の最速登坂タイムをたたき出した。ちなみにこれは史上5番目の記録で、1996年イヴァン・ゴッティの42分40秒には2分27秒及ばなかった。パンターニの1994年の記録にもまた、2分07秒足りない。しかし、21世紀の伝説作りには、十分だった。たった1人になったコンタドールは、道すがら、同胞イゴール・アントンに少しだけ引いてもらったり、アスタナから振り落とされたヘシェダルやトロフィモフの後ろでちょっと息を整えなおしたりもした。ただしほとんどの時間は、平均勾配10.9%、最大18%の激坂を、孤独なダンシングスタイルで上り続けた。

ティラロンゴの猛引きで集団は小さく絞り込まれ、ランダの刻む厳しいリズムで、ついに先頭はアルとステフェン・クルイスウィクの3人になった。しかし、肝心のアスタナのリーダーが、苦しくなってしまう。ステージ中盤の「とてつもない努力」の影響が、突如としてアルの脚に現れた。

まさに、ちょうど、そんな時だった。ヘアピンカーブの向こうから、コンタドールが姿を現したのは!

ゴールまで40.2km。チームメートと共に約28km、単独で5kmの勇敢な追走の果てに、コンタドールは、ついに先頭への合流を成功させた。しかも、合流からわずか数百メートルで、マリア・ローザはアタックを打つ。苦しむライバルを突き放すために。少し前に飛び出していたクルイスウィクと、そしてリーダーを捨ててついてきたランダと共に、残りの40kmへと走り出した。

「アルベルトに追いつかれた後、アルは調子が良くなかった。チームカーからの無線で、僕が前に行き、区間勝利を目指すよう指示された。そこから先のことは、皆さん、ご存知の通りだ」(ランダ、公式記者会見より)

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