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サイクル ロードレース コラム 2015年7月26日

ツール・ド・フランス2015 第20ステージ レースレポート

サイクルロードレースレポート by 宮本 あさか
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「アルプスでは毎日アタックする」と宣言したティボー・ピノは、最後のチャンスでステージ優勝をもぎ取った。アルプ・デュエズ史上30番目の山頂先頭通過者となり、ご褒美として、9番カーブのプレートに自らの名前を記す権利を手に入れた。「もっと遠くからアタックする」との宣言通り、モヴィスターの2人は見事な攻撃精神を発揮した。体調不良に苦しむクリス・フルームに、連携プレーで揺さぶりをかけた。ナイロ・キンタナがマイヨ・ジョーヌを1分12秒差にまで追い詰めた。

「アタックというのは、うまくいくときもあれば、うまくいかないときもある。でも明日はパリ帰還という最後の日に、うまくいった。待った甲斐があった」(ピノ、公式記者会見より)

21のヘアピンカーブのあちこちでは、壮大なるパーティーが繰り広げられていた。オレンジ色の一団は、いつものように、7番目のカーブで大音量を上げていた。もう少し上のほうでは、黄・青・赤のコロンビア国旗が静かにはためいていた。ノルウェーコーナーやポーランドコーナー、英国コーナーも、小さいけれど、それぞれに存在感を放っていた。ピレネーで覇権を握って以来、観客たちから時に嫌がらせを受けてきたマイヨ・ジョーヌは、とてつもない群集の中に山に飛び込んでいくことが「少しだけ怖い」と前夜の記者会見で告白していた。

たった110.5kmの短距離走だった。ピノの勝利は、スタート直後に、アレクサンドル・ジェニエがアタックをかけた瞬間から築き上げられていった。他の3選手と共に逃げ出したジェニエは、超級クロワ・ド・フェール峠の終盤で、さらに単独で飛び出した。アルプ・デュエズの中盤まで、先頭でひたすら粘り続けた。

「ひどく難しいツールだった。でも僕はあきらめなかったし、チームも僕を決して見捨てなかった。最終週も常に戦い続けた。今日だってジェニエが前にいて、後押し役を務めてくれた」(ピノ、公式記者会見より)

モヴィスターの攻撃も、やはり、アシスト役の仕事が起点となった。そうはいっても、クロワ・ド・フェール峠の終盤で最初に仕掛けたのは、「ダブルリーダー」で総合3位のアレハンドロ・バルベルデなのだが!さらに2kmほど進んだ先で、続いて総合2位キンタナがアタックに転じた。

「フィニッシュから遠い地点でアタックを打って、フルームを孤立させようという作戦だった。でもクロワ・ド・フェールでは大きなリードが奪えなかった。だから最終峠で全力を尽くすしかなくなった」(キンタナ、チーム公式リリースより)

たしかに、ゴールまで60kmを残しての攻撃は、成功はしなかった。モヴィスターの波状攻撃で総合勢は一旦ばらけるも、下りで全員が再びひとつにまとまった。しかし、いくつかの手がかりは得た。前日までなら、キンタナの加速には自ら対応してきたフルームが、この時はチームメートに穴を埋めさせたこと。総合5位アルベルト・コンタドールが、真っ先に脱落したこと。

ピノも一瞬だけ遅れを取った。ところが、いつの間にか、マイヨ・ジョーヌ集団へと復帰した。しかも、オワザン谷へのダウンヒルの最中に、ピノは小さなカウンターアタック集団さえ作り上げた。ジェニエから遅れること約2分、メイン集団に先んじること約2分、2015年ツール・ド・フランス最後の山へと突っ込んでいった。

ツールが誇る伝統峠の中でも、とりわけファンの人口密度が高い九十九折をこなしていくうちに、ピノはいつしかライダー・ヘシェダルと2人きりになっていた。ゴール前9kmでチームメートのジェニエと合流を果たした後も、しつこさには定評のあるカナダ人は、FDJコンビにくっついてきた。そんな中で、ジェニエは最後の力を振りしぼった。年下のリーダーに、全てを託すために。

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