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山頂でのタイム差は17秒。翌日、彼女と愛娘が応援にやって来る地元ステージを、なんとしてでもマリア・ローザ姿で迎えたい。そう強く願ったブランビッラは、全力でダウンヒルを行い、前方集団を捕らえた。しかし、今度は、モビスターに苦しめられる番だった。追いついた時には、総合でわずか32秒差につけるアンドレイ・アマドールが、すでに集団から飛び出していたからだ。
ここでマリア・ローザは、大きな決断を下す。すぐに集団の先頭に駆け上がると、ゴール前6.5km、懸命に引っ張り始めた。自らのジャージを守るためではなかった。アマドールとの差を最小限に食いとどめ、チーム内にマリア・ローザを留めおくためだった。残された力を、全て、ユンゲルスに捧げた。
「自分自身をチームのために犠牲にしよう、ボブのために走ろう、って思った。チーム全員が僕らのために本当に必死に働いてくれて、全てを費やしてくれた。そんな彼らのために、僕はそうしたんだ」(ブランビッラ、チーム公式リリースより)
「マリア・ローザが自ら、僕のために引くと決めてくれた。自分の人生の中で、これほど大きな恩義を感じたことはないくらい」(ユンゲルス、TVインタビューより)
ゴール前6kmでは、アマドールが「暫定」マリア・ローザだった。ゴール前3km、あともう少しで、ジャージを取り返せるところまで近づいた。ブランビッラからバトンを引き継いだユンゲルスは、最後は自らで力を振り絞った。幸いだったのは、前に逃げていたヴィスコンティと、後ろから追いかけたアマドールが、すぐには合流しなかったこと。
おかげでユンゲルスは、アマドールと「ほぼ」同時にフィニッシュへとたどり着いた。わずか4秒を失っただけだった。マリア・ローザを手に入れたチームメートから遅れること1分12秒、ブランビッラも勇敢に1日を締めくくった。
「ブランビッラには大きなありがとうを贈りたい。もちろんチームのみんなにも。きっと今夜、チームのみんなは、死ぬほど疲れているんだろうな。でも、やったかいがあった、と思ってくれるはず。僕はチームの仕事をしっかり完成させることができて、本当に誇らしい」(ユンゲルス、TVインタビューより)
ルクセンブルクのシャルリー・ゴールが生まれて初めてマリア・ローザに袖を通したのは、今からちょうど60年前。23歳だった。ボブ・ユンゲルスも23歳で、生まれて初めてのマリア・ローザを肩に羽織った。2年前のジャパンカップの際に、「夢はツールの総合優勝。……あくまでも夢だよ」と語っていたユンゲルスだけれど、今宵はピンク色の夢を見るのだろうか。シャルリー・ゴールは同年1956年ジロで総合を制し、2年後の1958年にはツール総合も勝ち取っている。
総合本命たちに関しては、あいかわらず10名前後が、連なった団子状態でフィニッシュラインへ駆け込んだ。モビスターのアマドールが26秒差の総合2位に、リーダーのバルベルデも「小さなスプリント→分断」を成功させて総合6位→3位(50秒差)とジャンプアップ。総合4位キープのステフェン・クルイスウィク(51秒差→50秒)、同じく総合5位ニーバリ(53秒差→52秒差)との立場を僅差ながら逆転した。また前日までの7位デュムラン・8位ランダの空いた2枠には、そのまま9位と10位がスライドし、ラファル・マイカとヤコブ・フグルサングが入った。個人タイムトライアルの2度の落車で大きく後退したイヌール・ザカリンも、再びトップ10へ返り咲いた(9位)。
宮本 あさか
みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。
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