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サイクル ロードレース コラム 2016年9月11日

ブエルタ・ア・エスパーニャ2016 第20ステージ レースレポート

サイクルロードレースレポート by 宮本 あさか
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2016年ブエルタ最後の山頂フィニッシュは、あらゆる野望が交差した。青玉を巡る争いは驚きにあふれ、新たな緑ジャージが誕生した。エステバン・チャベスは巧みに飛び出しを成功させ、3大ツール王者アルベルト・コンタドールが表彰台から弾き飛ばされた。ナイロ・キンタナとクリス・フルームは最後の100mまで互いに一歩も譲らぬままま……、コロンビアの雄がブエルタ初優勝をほぼ手中に治めた。そして、1年前の初夏に、コンタドール&キンタナ相手に山で堂々とタイマンを張ったピエール・ラトゥールが、生まれて初めてのグランツールで、高いポテンシャルを改めて証明してみせた。

逆転総合優勝のためにはフルームは1分21秒差を、逆転総合表彰台のためにチャベスは1分11秒を、それぞれの直接的ライバルから奪い取らねばならなかった。総合3分43秒遅れのコンタドールは、ひたすら、「勝つ」ことしか考えていなかった。だからマドリード到着24時間前のこの日、スタート直後から、チーム スカイとオリカ・バイクエクスチェンジ、さらにティンコフはとてつもなく攻撃的に動いた。

3チームの狙いは、逃げ集団にアシストを滑りこませること。総合2位〜4位の選手たちは、五月雨式に飛び出しを仕掛けた。そのたびに、当然のように、モヴィスター チームが集団制御にまわった。吸収されては飛び出し、飛び出しては吸収される。そんな場面が繰り返された。

山岳賞を巡るバトルもまた、最終決戦を迎えていた。青玉ジャージをまとうケニー・エリッソンドと、わずか3pt差で首位奪還を狙うオマール・フライレは、逃げの時宜を決して見逃さなかった。1つ目の山岳へ向かう途中で、次第にできあがりつつあった30人ほどの集団に、両者すかさず飛び乗った。

それなのに……、山頂までいまだ11kmの地点で、せっかちなエリッソンドは単独でアタックを仕掛けてしまった。小さな体に鞭打って独走を続けた。山頂の2kmほど手前で、着実に追い上げてきたフライレに、あっさり捕らえられた。急いては事を仕損じるとは、このことか。山頂首位通過をさらい取られたどころか、上位3位通過=ポイント取得さえできなかった!エリッソンドは2pt逆転され、フライレが山岳賞首位に浮上した。

この山の下りで、逃げ集団はシャッフルされる。エリッソンドとフライレは後方メイン集団へと飲み込まれ、またしてもスカイやオリカ、ティンコフは、精力的にブリッジを試みた。マイヨ・ロホ擁するモヴィスターは危険な動きを見逃さず、ライバルチームがなにか企てるたびに、隊列を組んで謀反者を引き戻しにかかった。

ちなみに2つ目の山に向かって、またしてもエリッソンドはアタックを仕掛けている。フライレもきっちり反応した。しかし、スペイン人は思わぬメカトラで脱落し、フランス人本人は先ほどの奮闘がたたり、早い流れについていくことができなかった。その隙にリュディ・モラールが、山頂間際で単独の飛び出しを決めた。下りを利用してルイスレオン・サンチェスが追いついた。

ついに2人が、先頭を突き進み始めた。その背後では、あいかわらず離合集散が繰り返された。モヴィスターの老参謀アレハンドロ・バルベルデが、自ら第2逃げ集団に乗り込んだことさえ。しかし、スタートから実に80kmも繰り返された混乱も、3つ目の山に差し掛かるころ、ようやく収拾へと向かう。モラールとサンチェスの背後には、15人の集団ができあがった。モヴィスター、スカイ、ティンコフ、オリカはそれぞれ平等に1人ずつ選手を送り込み、すべての総合陣営が納得する形に収まった。メイン集団は途端に減速し、前方とのタイム差は急速に開いていった。

残念ながら、逃げに滑り込んだマイヨ・ロホの傭兵だけは、途中で行く手を断たれた。下り途中で、ホセホアキン・ロハスが落車。ガードレールに激突し、左の脛骨と腓骨を開放骨折してしまったのだ。スペインチャンピオンは、マドリード到着の前日に、即時リタイアを余儀なくされた。

ゆっくりとペダルをまわすメイン集団が、先頭に3分、第2集団に1分半の差を許した頃だった。またしてもエリッソンドが、悲痛な努力へと打って出た。メイン集団から飛び出すと、前方に単独でブリッジを仕掛けたのだ。3つ目の山には間に合わなかったものの、下りで第2集団には追いついた。その後ますますポケットクライマーは奮闘した。自らが積極的に集団を引き、先頭の2人に追いつこうともがいた。だって4つ目の峠を、1位か2位で通過しさえすれば、青玉ジャージを取り戻せるはずだから。しかし1分半のタイム差はどうしても埋まらない。3位通過で1ptだけ追加し、つまり、いまだフライレを1pt差で追っていた。

メイン集団の遅れは、最終的には最大15分にまで広がった。高速の駆け引きで30人ほどにまで小さくなっていた集団も、当然ながら、再びボリュームを取り戻していた。オリカボーイズも、前に飛び出した1人を除く、8人全員が集結していた。そして、ゴール前60km、突如として隊列を組み上げると、猛烈なスピードアップを敢行した。4つ目の山の上りに差し掛かると、チームリーダーのチャベスを発射した。

5月のジロでは、第19ステージに、チャベスは同じ作戦を成功させている。あの日はチーマコッピでアシスト3人が発射台を務め、飛び出した先にはルーベンス・プラザが待っていた。ゴールではマリア・ローザを手に入れた(残念ながら翌日失うのだが)。そしてこの日は、下りに入ったところで、ダミアン・ハウスンが待っていてくれた!

7月のツールと同じ作戦を狙ったのは、フルームだった。チャベスが飛びたった集団は、淡々と4つ目の山を登った。直接的なライバルではなく、むしろモヴィスターがリズムを刻んだ。なにしろ山頂からの下りは、24kmと極めて長い。フルームが例のクレイジーなダウンヒルアタックに飛び込んでいってしまう可能性が……大いにあった。だから山頂でスカイが不穏な動きを見せると、すぐにモヴィスターは封じ込めた。同じ相手に、2回連続で同じ作戦は通用しなかった。

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