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サイクル ロードレース コラム 2017年6月1日

【ツールに恋して~珠玉のストーリー21選~】日本にロードレースブームを巻き起こした男の「勝利」への飽くなき執念

ツールに恋して~珠玉のストーリー21選~ by 山口 和幸
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チームメートに援護されたイノーは5回目の総合優勝を決め、伝説的な存在であるアンクティルとメルクスに並んだ。イノーにしてみれば不用意な落車がなければ苦戦することなく優勝できていたはずで、レモンはエースを裏切りさえすれば初優勝できたはずだ。

1986年。「来年は優勝を譲る」というイノーの言葉を信じて、レモンはこの年のレースをスタートした。

しかしイノーの胸中には「あと1勝すれば不滅の記録が手に入る」という考えがあった。

大会2日目の第1ステージでイノーはレモンに44秒差をつけ、ピレネーの初日に山岳派のペドロ・デルガドと逃げ去った。第12ステージが終わってレモンはイノーに4分36秒離されている現状を知る。

写真:グレッグ・レモン

翌日のピレネー、ツールマレーの下りでイノーは再びアタックした。チームのエースはレモンであるはずで、それに対してチームメートが攻撃を仕掛けることはセオリーでは考えられない。「優勝を譲る」と約束したイノーがその言葉を撤回したとみる行動だった。

「昨年の約束はどこにいったんだ」と叫ぶレモン。

激怒したレモンは、ペイルスールド峠でイノーを逆転し、ゴールのシュペルバニェールまで独走した。レモンは4日後のアルプスでようやく約束のマイヨジョーヌを手中にする。

翌日はツール・ド・フランス最高の舞台と言われるラルプデュエズス。数々の名勝負がこのアルプスの激坂で演じられ、この年も大観衆が詰めかけていた。イノーとレモンは2人でアタックを決めてコース途中のガリビエ峠を駆け下りると、クロワドフェール峠を仲よく上り、その下りを時速100kmで先頭交代しながら走った。

大観衆で埋もれたラルプデュエズで、レモンは稀代のパフォーマンスを見せつける。2人は途中の上り坂で補給食のタルトを分け合った。そして総合優勝をねらうエースとそれを助けるアシストという役どころが明らかになるように、最後は手に手を取りながらも、イノーに先行させて区間優勝をプレゼントするのだ。

イノーと同タイムでゴールしたことでレモンは総合優勝を確定づけた。先着することで区間勝利を譲られたイノーは苦虫をかみつぶしてゴール。イノーはこの年のオフに引退するのだが、1985年が地元フランス勢にとって最後の総合優勝となっている。

代替画像

山口 和幸

ツール・ド・フランス取材歴25年のスポーツジャーナリスト。自転車をはじめ、卓球・陸上・ボート競技などを追い、日刊スポーツ、東京中日スポーツ、Number、Tarzan、YAHOO!ニュースなどで執筆。日本国内で行われる自転車の国際大会では広報を歴任。著書に『シマノ~世界を制した自転車パーツ~堺の町工場が世界標準となるまで』(光文社)。2013年6月18日に講談社現代新書『ツール・ド・フランス』を上梓。青山学院大学文学部フランス文学科卒。

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