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サイクル ロードレース コラム 2017年6月6日

【ツールに恋して~珠玉のストーリー21選~】生死を彷徨う大怪我、アルベルト・コンタドールの数奇な自転車人生

ツールに恋して~珠玉のストーリー21選~ by 山口 和幸
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※本企画は2017年に実施されたものです。予めご了承ください。

世界中の自転車ファンを魅了して止まないTour de France。男たちの激闘の裏に隠されたHUMAN DRAMAに僕らは胸を打つ。ここに紡ぐ珠玉のストーリー21選があなたに届くとき、聞こえるのはきっと、ツールへの恋の予感

【STAGE 04】苦難の連続、アルベルト・コンタドール(スペイン)

小柄できゃしゃな容姿のアルベルト・コンタドール。小鳥が好きな優しい少年は、4歳年上の兄に影響されて自転車を始めた。弟は脳性麻痺で、それが今日を運命づけた。

「もっと真剣に生きなきゃ」

波瀾万丈のプロ選手になる選択ができたのも弟がいたからだ。

そしてコンタドールほど自転車競技界の汚点であるドーピングにほんろうされた選手はいないーー。

2007年のツール・ド・フランスは、マイヨジョーヌを着用するミカエル・ラスムッセンが区間2勝目を挙げた第16ステージ終了後の夜にチームから解雇された。チームがラスムッセンの不正薬物使用を突きとめて、レースをリタイアさせたのだ。その時点で総合2位にいたスペインのアルベルト・コンタドールが首位となり、そのまま初優勝を遂げている。

コンタドールは2003年、当時のマノロ・サイツ監督に見出されてオンセ・エロスキでプロデビューした。翌年はリバティセグロスとチーム名が変更され、ツール・ド・フランスに初出場。ロベルト・エラスのアシストをこなしながら、総合31位で完走した。

2004年にコンタドールはブエルタ・ア・アストリアスのレース中に気絶して落車し、頭部を強打。脳から出血して一時は生死の境をさまよった。緊急手術で一命を取り留めたが、意識を失う脳障害があることが判明し、その1カ月後にも大手術。奇跡的に成功した。

「ボクはあのとき、健康な生活が取り戻せればと願っていただけだった」

復帰後は躍進した。しかし2006年。スペインを舞台とした血液操作疑惑「オペラシオンプエルト」でサイツ監督が逮捕・立件された。そして疑惑選手の名簿にコンタドールの名前があった。その後の調査で無関係であることが認められ、すぐにレース復帰を果たすが、チームが空中分解したことで米国のディスカバリーチャンネルに移籍する。

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