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サイクル ロードレース コラム 2017年6月12日

【ツールに恋して~珠玉のストーリー21選~】国家を震撼させる才能を誇ったコロンビアの英雄、ルイス・エレラの軌跡

ツールに恋して~珠玉のストーリー21選~ by 山口 和幸
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標高2600m、首都サンタフェドボゴタから40kmほど、フサガスガという小さな村に生まれた。アンデス山脈の山ふところにあり、11歳のときに通学のための自転車を母親から買ってもらった。しばらくしてボゴタまで花を届ける手伝いをするようになる。自転車に荷台をつけて花を満載しながら往復80kmの道のりを走った。

エレラのラルプデュエズ制覇は、ラジオ放送でコロンビアに伝えられた。聴視率は90%を超えた。コロンビア国民が驚喜したのは言うまでもない。エレラは一夜にして同国のヒーローとなった。

「ボクの目標はツール・ド・フランスの1区間に勝つことだった。そして経験を積み重ねていき、いつかはイノーやフィニョンのようなチャンピオンに肩を並べる位置まで近づきたい」

1985年にコロンビアの国家的企業であるカフェ・ド・コロンビアがチームスポンサーとなり、エレラはアマチュアからプロ転向した。山岳ではマイヨジョーヌのイノーをも突き離さんかとばかりの激走で、コロンビアから駆けつけたテレビ解説者は驚喜した。「サルドプレス」と呼ばれるツール・ド・フランスのプレスセンターで、スペイン語による実況と解説者の絶叫的なかけあいが連日のようにこだました。

1985年はステージ2勝、そして山岳王に。1987年はブエルタ・ア・エスパーニャで総合優勝するとともに、ツール・ド・フランスでは総合5位と山岳賞を獲得。この快挙にコロンビアのファンはマイヨジョーヌ獲得という大きな夢を抱いてしまった。ひたすら上りを走るだけだったエレラにとっても野心が芽ばえる。軽量ボディが持ち味だったエレラは、総合優勝を目指して筋肉改造を行うのだが、そのため上りのキレがなくなっていく。

「ヨーロッパの生活になじめなかったのは事実だ。言葉の壁もあったが、コロンビアでは家族のように仲間と気持ちを通わせることができた。ヨーロッパは個人が優先され、すべてはビジネスとして語られる。あまり好きではなかった」

1992年にはマイヨジョーヌを着ることなく引退。しかし彼の存在はコロンビア国民に勇気を与え、英雄視されるまでになった。今日でもコロンビア選手がヨーロッパの山岳区間で活躍できるのはエレラが道を切り開いたおかげできる。

代替画像

山口 和幸

ツール・ド・フランス取材歴25年のスポーツジャーナリスト。自転車をはじめ、卓球・陸上・ボート競技などを追い、日刊スポーツ、東京中日スポーツ、Number、Tarzan、YAHOO!ニュースなどで執筆。日本国内で行われる自転車の国際大会では広報を歴任。著書に『シマノ~世界を制した自転車パーツ~堺の町工場が世界標準となるまで』(光文社)。2013年6月18日に講談社現代新書『ツール・ド・フランス』を上梓。青山学院大学文学部フランス文学科卒。

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