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サイクル ロードレース コラム 2017年6月26日

【ツールに恋して~珠玉のストーリー21選~】あくなき魂は罪を償い、再び男を蘇らせた。リシャール・ビランク、山岳に愛された男。

ツールに恋して~珠玉のストーリー21選~ by 山口 和幸
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ビランクら所属選手はそのままレースをスタートしたが、大会期間中にチーム全員が「排除」という通告を受けた。これがチームぐるみで薬物使用をした「フェスティナ事件」だ。このとき涙を流しながらレース会場から去っていくビランクは新聞やテレビで大きく報じられた。

所属選手が相次いで薬物使用を自供する中で、ただ一人無実を訴え続けたビランク。その後の長い裁判でビランクもついにドーピングをした事実を認め、出場停止処分を受けた。この時点でビランクの選手生活は終わったとだれもが感じたことだろう。しかし彼のあくなき魂は罪を償い、山岳ポイントを荒稼ぎすることで汚名を返上したいという気持ちしかなかった。

フェスティナが解散したためにビランクは1999年からの2年間をポルティで、2001年からの2年間をドモで、2003年から引退する2004年までをクイックステップで走る。その期間に山岳賞を3回、ステージ優勝を4回達成。ステージ優勝は常に山岳ステージで、人差し指を天にかざしてゴールするウイニングポーズはビランクのトレードマークになった。

山岳王の最多記録はそれまでスペインのフェデリコ・バーモンテスとベルギーのルシアン・バンインプが記録した6回だった。もともとバーモンテスもバンインプも山岳王になろうとプロ入りしたわけではない。それぞれツール・ド・フランス5勝のジャック・アンクティルやエディ・メルクスという怪物と時代を同じくした悲劇があって、山岳賞ねらいに転じたわけである。ランス・アームストロングという偽りの王者を相手に総合優勝の夢を果たせなかったビランクも同様で、そして単独最多の7回はビランクの意地でもあった。

代替画像

山口 和幸

ツール・ド・フランス取材歴25年のスポーツジャーナリスト。自転車をはじめ、卓球・陸上・ボート競技などを追い、日刊スポーツ、東京中日スポーツ、Number、Tarzan、YAHOO!ニュースなどで執筆。日本国内で行われる自転車の国際大会では広報を歴任。著書に『シマノ~世界を制した自転車パーツ~堺の町工場が世界標準となるまで』(光文社)。2013年6月18日に講談社現代新書『ツール・ド・フランス』を上梓。青山学院大学文学部フランス文学科卒。

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