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サイクル ロードレース コラム 2018年6月30日

ツール史上最も愛されたのは・・・マイヨ・ジョーヌを1度も着られなかったアノ選手 / Tour de France 2018

ツール・ド・フランス by 宮本 あさか
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「ププ」、もしくは「ププ・ナシオナル(国民的ププ)」という愛称でも老若男女に親しまれた。これほどまでに愛された理由は、まずなにより自転車史に燦然と輝やく2人の巨人に真っ向勝負を挑んだから。キャリア序盤には「ジャック先生」アンクティルが、後半には「人食い」エディ・メルクスがプリドールの前に立ちはだかった。特にアンクティルとのライバル争いは熾烈だった。1964年第20ステージ、ピュイ・ド・ドームの山頂フィニッシュに向かって、両者が繰り広げた「肩と肩とをぶつけ合う」死闘は、今日までツール史上屈指の名勝負として語り継がれている。

両者のファン同士の争いもまた、熾烈だった。絶対的チャンピオンを称えるアンクティリスト vs 王者に果敢に立ち向かう勇敢さに胸打たれたプリドリストとで、フランスは真っ二つに割れた。金髪碧眼の天才肌、お手本のような美しい走行姿勢、シャンパン愛飲家にして享楽主義者というグランツール総合8勝のエリートに対して、小作農家の息子であり、その日焼けした肌や頑強な肉体が「苦労人」や「働き者」を想起させるププに、1960年代の多くの自転車ファンたちが自らの境遇を重ねたと言われている。

フランス人にも判官贔屓という感情がある。しかもプリドールは悲劇のヒロイン……ではなく悲劇のヒーローだった。先に述べたピュイ・ド・ドームの山頂フィニッシュでは、ついには宿敵アンクティルを突き放すも、マイヨ・ジョーヌには14秒足りなかった。アンクティル時代とメルクス時代の狭間の1968年は「いよいよツール総合制覇か」と期待されながらも、レース中にオートバイに跳ねられ、途中棄権を余儀なくされた。さらに1967年プロローグでは6秒差で、1973年プロローグではわずか1秒差で、初日マイヨ・ジョーヌのチャンスを落とした。この1973年にフランスで行われた世論調査では、「最も尊敬するアスリート」の首位にプリドールが選ばれた。

常に手放しで愛され続けたわけではなかった。20年前のインタビューでは「プロ生活中にたった1度だけブーイングされたことがある」と告白しているが、1976年大会の開幕時、ファンたちの心は少し離れかけていた。前年大会を19位という不甲斐ない成績で終えたせいだ。しかも春に40歳の誕生日を迎えていた。「四十路の老人に何ができる?」そんな風にメディアからは揶揄もされた。

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