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野球 コラム 2019年2月6日

降り注ぐ陽光、そよぐ風、溢れる希望「スプリングトレーニングの起源と変遷」

MLB nation by 豊浦 彰太郎
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そのスプリングトレーニングも戦時中は停滞期を迎える。移動が厳しく制限されたためフロリダなどの南部諸州まで移動することができず、寒い本拠地周辺の都市での集合練習を余儀なくされたらしい。

戦後、スプリングトレーニングは再び活性化し、あらたな展開を迎える。キャンプ地が西部にも広がったのだ。これにより、フロリダとアリゾナの2大キャンプ地時代を迎えるのだ。背景には、球団数拡張(エクスパンションという)や移転によるMLBの球団配置の変化もある。

その結果現在ではそれぞれ15球団だ。ほぼ互角というか、近年はむしろアリゾナの方が優勢な印象が強い。雨の少ない気候や、比較的狭い地域にキャンプ地が集中しており選手にも運営側にもそしてファンにも利便性が高いためだが、長いこと本場のフロリダと後発のアリゾナ、というイメージが強かった。

しかし、そんな老舗フロリダにも辛い歴史があった。1946年にジャッキー・ロビンソン(もう1人、大成しなかったが黒人選手がチームメイトとして在籍していた)が始めてマイナーリーガーとしてキャンプに参加した頃は、人種的偏見の強い南部では白人と黒人が一緒にスポーツ競技を行うことは州の法律で禁止されており、ロビンソンが出場予定の試合がキャンセルされたり、ロビンソンは警察からダグアウトから出て行かないと逮捕するとまで告げられ、実際そうせざるを得なかったこともあった。

そして、似たような状況は1960年代まで続いた。例えスーパースター級の選手でも黒人は宿泊施設に受け入れてもらえず、スプリングトレーニング中は施設近隣の黒人の有志宅を泊まり歩かねばならなかった事実は語り継がれねばならない。

代替画像

豊浦 彰太郎

1963年福岡県生まれ。会社員兼MLBライター。物心ついたときからの野球ファンで、初めて生で観戦したのは小学校1年生の時。巨人対西鉄のオープン戦で憧れの王貞治さんのホームランを観てゲーム終了後にサインを貰うという幸運を手にし、生涯の野球への愛を摺りこまれた。1971年のオリオールズ来日以来のメジャーリーグファンでもあり、2003年から6年間は、スカパー!MLBライブでコメンテーターも務めた。MLB専門誌の「SLUGGER」に寄稿中。有料メルマガ『Smoke’m Inside(内角球でケムに巻いてやれ!)』も配信中。Facebook:[email protected]

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