人気ランキング

J SPORTS IDを登録すれば、
すべての記事が読み放題

J SPORTS IDの登録(無料)はこちら

メルマガ

お好きなジャンルのコラムや
ニュース、番組情報をお届け!

メルマガ一覧へ

コラム&ブログ一覧

野球 コラム 2018年12月27日

2018年のさようなら ー 亡くなったメジャーリーガー ー

MLB nation by 豊浦 彰太郎
  • Line

ウィリー・マッコビー 10月31日没 享年80歳

バリー・ボンズの場外本塁打が幾度となく飛び込んだ、ジャイアンツの本拠地AT&Tパークライトスタンド後方の入り江(マッコビー・コーブ)に名を残すスラッガー。

長身痩躯で左投げ左打ちのホームラン打者という一塁手らしい一塁手だった。史上最高の選手とも称される通算660本塁打のウィリー・メイズ、20勝以上6度の大エースのホワン・マリシャルとともに1960年代ジャイアンツの「スリーMメン」と呼ばれた。

アラバマ州モービル出身で、メイズ、ハンク・アーロン、オジー・スミスと同郷。通算521本塁打は、テッド・ウィリアムズ、フランク・トーマスと同数で歴代20位だ。

1959年に新人王に選出され1980年を最後に引退したので、50年代から80年代まで4つのディケイド(10年間)でプレーしたことになる。デビューから1973年までジャイアンツに在籍。その間、63年に初の本塁打王、68~69年は連続で本塁打&打点の二冠王に輝いている。36歳になる74年にパドレスへ移籍。この頃から衰えも指摘され出したが、アスレチックスを経て1977年にジャイアンツに復帰すると、39歳ながら28本塁打と復活した。

感情を表に出さず、控えめに話す人物というイメージが強いが、こんなエピソードもある。

1978年のことだ。マッコビーの所属するジャイアンツは開幕から好スタートを切った。要因としては、開幕前にアスレチックスからトレードで獲得した1971年のMVP&サイ・ヤング賞投手のバイダ・ブルーの活躍があった。ある時記者が、チームリーダーのマッコビーにこう声をかけたそうだ。「ブルー獲得は球団史上最高のトレード補強だったね」。するとマッコビーは、淡々とこう返したという。「それは2番目に素晴らしいトレードだね。最高のトレードは私をジャイアンツに呼び戻したことだ」。骨太な自信家だったのだ。

背番号44は1980年の引退ともに欠番に。1986年殿堂入り。

  • Line

あわせて読みたい

J SPORTS IDを登録すれば、
すべての記事が読み放題

J SPORTS IDの登録(無料)はこちら

ジャンル一覧

J SPORTSで
野球を応援しよう!

野球の放送・配信ページへ